この年になって大学院に行ってると言うと「へえー」とうなずく人が多い。其の目の中を見れば複雑な表情が見える。恐らく「今更大学院に行ってどうするつもり」、「勉強が好きな人なんだね」、「不況でしかも子供に金が掛かるのに良い身分だね」、「お金があるのだな」、「うらやましい」などの言葉が出てきそうな目をしている。
其の通り、其の中の一文のどれかが必ず相手の口から出てくる。今通っている大学院のクラスには22歳から70歳近い方もいるが、20代の方であれば、学部生と変わらないような感じの人もいるから私が他人から受けた表現は恐らく其の方には出てこないだろう。それは大学生に近いからだろう。
しかし、大学内の建物を歩いていると若い学生から頭を下げられる事がよくある。大学の教員と間違えられているようだ。そんな風貌から「実は大学院に行ってるのですよ」と言えば、「一度授業を聞きに行ってもよいですか?」と聞かれることがあり、「いやいや、学生してまんねん」と言えば、「ええー?!」と成る。しょっちゅうあるケースである。
大学もダイバーシティの世界であるべきと思う。特に、日本は飛び級もないし、同じような年齢の人が同じような環境で勉強するケースが多い。その点は社会人大学院は興味深い。
私は「人は人の中で人になる」が持論で、山にこもって寺にこもってみても俗世間に出たとたん世俗に犯され迷わされ結局 あの修行はなんだったのか?となる。 人は完全には孤立できない。特に今の社会では。
いつの時代でも人は人と関わってゆきそこから何かを経験し何かを知りそして人生を知って一生を終える。
いやその過程で終わる人もいるが。いずれにしても世間でも学校でも一生勉強である。
できれば学校と世間と行ったり来たりするほうが人生楽しいし一面的な見方にならず良い。
人生にはいろんなことが起こる。何も起こらない事はごく稀な事かもしれない。
いろんなことが起こったときにどうそれを処理するか?が問題である。
ずーっと学校出てから同じ社会にばかりいると何か予期せぬことが起きると人生を不幸の先読みをしてしまい不安になり、そのことひとつしか考えられなくなる傾向がある。しかし冷静になれば必ずalternativeがあることに気がつく。
著者も過去何度もビジネスでも生活でも「もうだめかな?」と思うような絶体絶命が何度かあったが、首の皮一枚でつながってきた。人生何とかなるものだと感じた。いやひょっとして人生はすでに決まっているのかもしれない。
いずれにしても人生死ぬまで勉強、人生なんとかなぬものだ。
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by bravo54410
| 2009-10-25 14:31
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